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東京地方裁判所 昭和40年(合わ)187号 判決 1965年12月27日

被告人 八木京子

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中、一五〇日を右刑に算入する。

理由

(認定事実)

被告人は昭和三七年暮ごろから、勤務先の同僚で既に妻子のあつた芝朗治と懇意になり、間もなく同棲するようになつたが、同人が、正式に妻として入籍してほしいとの被告人の再三の要求にもかかわらず、本妻と離婚することもなく、時折そのもとに宿泊し、生活費の大半を渡してくる状態であつたため、被告人の立場は不安定であつたばかりでなく、生活も窮迫して、高利貸その他友人知己から借財をし、それが積み重なる一方であつた。被告人は、常日頃このような耐えがたい生活からなんとか脱け出したいと考えていたものの、芝の協力をえることができず、このまま同人との生活を続けていてはなんら解決の見通しはつかないし、さりとて同人への愛情からこの同棲生活を捨てることもできず、適当な相談相手もないところから、常に一人思い悩んでいた。このような生活を続けるうち、昭和四〇年五月九日、被告人は、東京都葛飾区金町四丁目二、八三三番地永松利喜方の自室で、一人家事の処理をしながら、自分の境遇について考え始めたところ、芝との不安定な関係、苦しい経済状態などをあれこれ想い起すと共に将来を考えて絶望的となる一方、現状をみずからの手でなんとか打開しなければならぬという切羽詰つた気持に駆られ、遂には、前記永松方家屋に放火して現在の耐えがたい生活環境を破壊してしまえば、またあるいは解決の途も開かれようという自暴自棄的な考えに陥るに至り、同日午後六時五〇分頃、ストーブ用の石油を洗面器(昭和四〇年押九九九号の二)に移し、これを被告人方二畳間の押入の中の布団にかけ、さらに石油をかけた浴衣の布地(前同号の三)を上段布団の間に入れてこれにマツチで点火し、その結果、永松利喜およびその家族ならびに被告人の内縁の夫芝朗治が現に住居に使用している右永松所有の木造スレート葺二階建一棟(床面積合計約四一平方米の二階二畳間の柱、天井板などに燃え移らせて前記建物二階の柱二本、天井板約六・七六平方米などを焼き、もつて、現に人の住居に使用する建造物を焼燬したものである。

(証拠)<省略>

(動機について)

本件犯行の動機について、検察官は保険金詐取のためであると主張し、弁護人は自殺のための手段であると主張する。

ところで、被告人が本件犯行当時経済的にきわめて窮迫した状態にあつたこと、およびその所有する家具について火災保険契約を結んでいたことは明らかであつて、本件放火に当つて右保険契約のことが被告人の意識に全くなかつたとはいえない。しかし、本件放火の方法は前示のとおりあまりにも単純幼稚なものであること、本件が容易に発覚しうる状況下でなされていることなどを考慮すると、被告人が積極的に保険金を目的として計画的に本件犯行に及んだものと直ちに認めることはできないのである。

他方、被告人が、自殺を図るだけの理由のある境遇にあつて、しかも、過去に自殺を試みたことがあつたことも明らかなところであり、本件犯行の直前に、火中に死んでもよいというような想いが被告人の脳裡を去来したであろうことも、あながち否定できないけれども、本件犯行の態様、当日の被告人の犯行前後における一連の行動等を考え合わせると、被告人が自殺そのものを目的として本件犯行に及んだものとは、到底認められない。

むしろ、前示認定のとおり、被告人は、現状を打開しなければならないという切羽詰つた気持に追いこまれ、加えて、犯行当日は、子供の出産後でもあり疲労が累積していたうえ、特に生理日の一週間前であつたことなどのために、是非善悪の判断能力を著しく欠いていたとはいえないまでも、不安定な精神状態にあつたことと相まつて、結局判示のような不合理な行為に及んだものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一〇八条にあたる(有期懲役刑選択)。犯情を考慮して、同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をする。同法二一条(主文2)。刑訴一八一条一項但書(訴訟費用は負担させない)。

(量刑について)

被告人の本件行為は、前記のような動機から、いわば突発的に行なわれたもので、計画性に乏しく、しかも幸いに焼燬の程度も比較的軽微に終つたこと、被告人は出産後間もない幼児の母であることなど同情すべき事情があるので、前記のとおり酌量減軽した。しかし、被告人が本件犯行に至つた最大の原因は、被告人が求めて入つた妻子ある者との同棲生活に存することは前示のとおりであり、右同棲生活自体を単に形式的に非難するわけではないが、そこから生じた困難な問題をみずからの自覚と責任において解決する途を放棄し、善良な第三者に及ぶ危害を顧慮することなく、いたずらに放火というきわめて危険な行動に出て、直接の被害者のみならず近隣の住民にも大きな不安を与えたことは、なんとしても強い社会的非難を免れないのであつて、主文の実刑はやむをえないところであると考える。

(裁判官 戸田弘 新谷一信 永山忠彦)

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